錬金術師の隠れ家

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百合とは何か:恋愛ラボの事例より

 恋愛ラボでとうとう男が登場しました。男女のリコとは対照的に女の子みたいで、しかも5年前に振られたナギと、性格悪いけどマキの前だと何故か天然ジゴロになってしまうヤンです。原作見てたときは「おっ、ついに男か、しかもフラグまで立ててる!」とニヤニヤしながら読んでいたのですが、一部の百合厨にとってはこの展開は処刑ものだったようで。単にラブコメ展開に入っただけなのに、なんで拒絶反応が起こるのかな、他のラブコメに対しては特に文句はないではないか、と思うのですが、恋愛ラボに関しては、以下の理由によりガチ百合であると誤解されていた節があるようです(随所で言われているようにタイトルからして気づけといいたいところですが)。

・男が最初から登場しない(原作では2巻から、アニメでは6話から登場)

・藤女の雰囲気が百合的(生徒がリコ、マキにラブ)

・制作会社(ゆるゆり作ってる)

 もっとも個人的には男が登場するからといって恋愛ラボから百合的要素が喪失されるとは思っていません;それは極論です。今後の展開においても女同士の友情は依然ないがしろにされることはなく、むしろストーリーにおいても正直恋愛そのものより力点が置かれます。つまり、恋愛成就という目的を果たすために、友人の助けを借りたり、共同して何かするというパターンが多く見られます;それはまさしく、男のためでありながら男が存在しない、ホモ的(同性的)世界観といってもよいものです。また逆に、友情という目的のために一時的に男の方から助言なり箴言なりが来ることがあります;それも相当重要なファクターとして機能します。抽象的に考えると、物語的に目的と介在という2つのカテゴリーが存在するのですが、この2つは切り離すことができないものであり、それでいてそれぞれの領域において異性が混じり合うことはなく、ホモ的要素とヘテロ的要素がそれぞれ上手く機能する、という構造が時折見られます(もっとも、友人関係において同性の助言を受けることもあるし、この構造はあくまで全体の一部にすぎないのですが)

 このように、ヘテロ的恋愛の展開においても、百合が失われることはない。この場合の百合とは、明らかに恋愛とは言えないものですが、それでいて単なる友情、馴れ合いをも超越します。友人の恋愛のために応援・奮起し、逆に助けられもする。男の介在を受けることにより益々同性同士の関係を深めたりする。我々がフィクションの中で追い求める、清清しい関係。これに名前をつけるしたら、馴れ合いのように軽いものでも、友情のように馴れ合いの一歩手前のようなものでもなく、「百合」以外に思い当たらない。

 もちろんここで定義の撹乱みたいなものが起こっています:百合から恋愛要素が除去されてしまっている。でもこれって恋愛ラボに限ったことじゃあなく、他の作品にも当てはまることに思えるのですが、どうでしょう。