錬金術師の隠れ家

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こんな人生送りたくないなあ 『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(ネタバレ注意)

 『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』を見た。本日これで2回目である。

 

 
 何度も見に行くということは何度も見る価値のある映画なのだろうと思うだろうが、実際その通りで、現実を超越したケレン味と派手に溢れた凄まじい映像の数々と華やかながら勇ましい音楽、そしてそれらに彩られた少女たちの関係性が個性あふれる形で押し寄せてくるので、とても1回見ただけでは消化しきれないし、何度見ても感動を覚える。
 とはいえ本作で扱ってるテーマは「若者の将来の進路」や「善き人生」と、実に普遍的で手に取りやすいものだ。本稿では本作の基本的な形式やテーマ、テーマに対する応答を整理して、「一体何が起こっているのか?」を簡単に整理してみる。当然ネタバレ注意。

 

 あらすじはこうである。テレビシリーズで第100回目の聖翔祭で『スタァライト』を演じ切った九九組は3年生となり、将来の進路を考える。ある者は歌劇団を目指し、ある者は留学し、ある者は大学進学を目指す。しかし『スタァライト』で「クレール」を演じた神楽ひかりは自主退学して再びロンドンに戻り、取り残された「フローラ」の愛城華恋は、『スタァライト』をひかりとやり切ったことに満足して将来の進路を決めかねていた。ところが、地下鉄を舞台に謎の演目『Wi(l)d スクリーン バロック』が突如開催され、九九組は再び戦う羽目になる(※この時点で何を言ってるのか分からないと思うが、要は殺陣が始まったのだ、と理解しとけばよい。実際突然の流血シーンでぎょっとすることはあるが、すぐに舞台装置によるものだと説明され、その虚構性が強調される)。一方華恋はひかりとの馴れ初めを思い出し、ひかりはWSBでまひるに迫られたことで目の前で輝く華恋のただのファンになってしまうことを恐れていたことを自答する。最後に華恋は舞台に生きることへの恐れをひかりと向き合うことで克服し、永遠に舞台に生き続けることを決意する。

 本作の百合的な見どころは、カプ三組と三角関係の三人とでさらけ出される感情や人生模様が多様なことだろう。単に何の目的もなく生きるのは生きた屍に等しいということを華恋とひかりのレヴューは直接に提示する。舞台で輝くことをテレビシリーズにて自分の目的とする決意を既に固めているまひるは、戸惑うひかりを華恋のもとへと送り届ける。純那は最初学を目指すも、突然始まった演技についてこれなかったりとその実座学に逃げている節があるのではないかとななに突きつけられる。香子は双葉が自分と別の進路をとったことへの不満をそのままレヴューで表現する(雰囲気はまるで違うがこの辺は『リズと青い鳥』っぽい)。クロディーヌは真矢のなかにある驕りを暴き、互いを引き立て役ではない「ライバル」として認め合う。
 このような多様な人間関係の激突が、連作レヴューという形式で矢継早に送り出されるので、まるで国際映画祭で名画を続けて見ているような気分になれる。とはいえ登場人物の上手と下手を固定したりなど舞台的な演出が徹底されているため見づらいということはなく、飽きや疲れを感じることなく楽しむことができる。

 

 本作は「人生」という普遍的なテーマを扱ってはいるが、それに対する答えはかなり極端でシビアである。楽曲 Star Divine に「舞台に生かされている」という歌詞が出てくるが、本当に人生は舞台そのものであるというのだ。WSBはあくまでも演目ではあり、舞台セットをわざと映したり名作名画のパロディをてんこ盛りに盛り込むなど過剰なまでに虚構性を織り込んでいるが、それを演じる少女たちの主張や熱情は紛れもなく本物である。それはむしろ「劇=虚構を通じて生の感情を表現する」というよりは、「劇=虚構と人生が一体化しすぎている」という印象すら抱かせる。

 そのうえ観客の目を初めて意識して演劇を恐怖した華恋は、なんと一度死んでしまう。生きる目的を失ったために事実上の死を迎えるというのは、「ただ生きるのではなく善く生きよ」というソクラテスの命法を極端にとらえたもので、「そこまでするか?」と思ってしまう。実際華恋はひかりの手によってポジションゼロの徴表を切りつけられることで、ひかりがいなくても「舞台に生きる」という目的を見失うことのない舞台少女として生まれ変わるのだ。


 本作は「ただ放埒に生きるのでなく確固たる目的をもって生きよ」という普遍的な命法を独特の映像で表現したものだといえるが、それは「演じ続ける」という目的を失えば、すなわち死だ、という危険極まりない人生を提示する極端なものでもある。そんな人生は三森すずこのような超人には実践できているようには思うが、個人的には送りたくはない。(そのうち自分も実践しなくてはいけないかもしれないが……)