錬金術師の隠れ家

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アルチュセール. 今村仁司訳『哲学について』(1995)

 マルクス主義はさっぱりなのだがアルチュセールは好きになれそうである。妻を殺害して投獄された人という妙な知られ方をする人で、マルクス主義研究の面が強調されることが多い哲学者だが、晩年はマルクス主義からは幾分か離れた彼独自の思想を展開させている。いやむしろ、彼の主要な仕事である従来のマルクス主義の解体とマルクス哲学の再構築すら、実際は彼独自の思想にすぎなかったということが批判されており、事実本人も認めてしまっている(p36)。資本論マルクスヘーゲルから完全には解放されていなかったことを、認識論的切断は全面的ではなかったのだ。
 それでもなおアルチュセールの仕事が意義をもつのは、やはり彼の仕事がオリジナリティをもち、古くからの哲学の問題に一石を投じるところがあるからであろう。それに、彼の洞察眼の鋭さには、哲学的思考力を鍛えるための手本にしたいと思えるだけの魅力がある。自分が特に注目したのは次の二つ:偶然の唯物論と、イデオロギー論だ。
 
 プラトン以来唯物論と観念論は互いに論争しあってきたが、実は唯物論と観念論は互いが互いの要素を保有しており、純粋な唯物論や観念論はありえない、いわば双子の兄弟みたいなものなのだ。哲学はすべての反論と攻撃に答えるため、敵を吸収し支配することができるよう前もって陣地を構えるからだ。これら2つはプラトンイデア論に起源をもつため、カップルの根拠となったのは観念論の方だといえる。大部分の唯物論は実は転倒した観念論でしかないのだ。
 観念論/唯物論のカップルから逃れた哲学が存在するとすれば、それは起源と目的の問いから免れた哲学であろう。観念論は起源と終わり(目的)を指示する。それに対してアルチュセールの提示するのが「偶然の唯物論」と呼ばれる哲学である。偶然の唯物論は理論に対する実践の優位を肯定する。実在に従って変化する過程としての実践は、真理を生産するのではなく、それ自身の実在条件の場のなかで、複数の「真理」や真理のようなもの、つまり結果や知識を生産する。それは主体も目的ももたない過程である。アルチュセールは列車を使ったたとえで説明している。観念論哲学者は、汽車に乗るとき始発駅と終着駅を知っている人である。それに対して唯物論哲学者は、走っている列車に飛び乗る人であり、起源も行き先も知らない。起こる出来事はみな偶然のものとして知覚される。
 プラトン以降哲学はすべてを見渡す学問とされてきたが、アルチュセールによると哲学は外部をもつ。つまり哲学による見通しのたたない分野としての現実が存在する。外部における文化的な実践、たとえば科学、政治、芸術のような文化的実践に哲学ははたらきかけるのだ。
 要は、唯物論と観念論の対立の性質に注目して共通するものを取り出し、両者の観念論的性質を暴露しながら、新しい唯物論を提唱する。哲学の進め方としてはよくできていると思う。
 
 (科学や宗教など、個別のイデオロギーとは区別される意味での)イデオロギー一般のはたらきに対するアルチュセールの洞察もまた白眉である。人が真理を認識するのは、イデオロギーを構成する観念が私自身の意識にまるごと呼びかけ interpellate、その真理を承認するように強制する働きによる。人は真実を、イデオロギーを構成する観念の内容と形式をそなえたものとしていうことができる「自由な」「主体」へと構成されるのを余儀なくされる。主体はイデオロギー的主体であり、それは現実に存在するよりも先にあり、主体の現実的存在を生み出す構造の結果である。
 つまり主体はデカルトがいうように所与としてそこにあるものではなく、イデオロギーが提供する構造に適応する形で形成されるものなのだ。通常、構造主義とは主体の死を提唱する思想だといわれているが、アルチュセールにおいてはむしろ社会の大きな枠組みとしてのイデオロギーと人間の主体とがどのように関係するかが問われており、イデオロギー構造と主体との不可分な関係が帰結されるに至るのである。「人間はイデオロギー的動物である」(p85)。
 それゆえ、支配者階級は積極的に支配的イデオロギーを行使するが、逆に革命家の方も、あらゆる矛盾を乗り越えるイデオロギーを作らなくてはならない。つまり「数々のイデオロギーを、真理を握るひとつの支配的イデオロギーのなかに統合することに貢献すること」(p93)が哲学の課題である。
 
 要は革命のためにイデオロギーに関する理論の再編纂を哲学は行えという結論である。結論は今日あまり意味がないかもしれないが、イデオロギーと主体の関係には注目してよい。自分は自由のはずだと信じて生きていても、その信念すら実は自由主義イデオロギーによって構築されたものである、と自己反省するきっかけになる。

 

哲学について

哲学について

 

 自分が読んだのは単行本であったが文庫本もある。

 

哲学について (ちくま学芸文庫)

哲学について (ちくま学芸文庫)