錬金術師の隠れ家

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最終話までみた私が『白い砂のアクアトープ』を警戒していた百合ヲタに告ぐ。大丈夫だ。

 

 

 P.A.WORKS制作の2021年夏から2クールにかけて放送されたアニメ『白い砂のアクアトープ』は、通しで見たことで百合作品だと判明した作品である。なんじゃそりゃ、と人は思うだろうが、これには事情がある。事前情報(https://twitter.com/comic_natalie/status/1350004908628471810?s=20)ではガール・ミーツ・ガールの作品であることが明示されており、二人が互いに手を伸ばし合うキービジュアルや見つめ合うカット、果ては声優が伊藤美来逢田梨香子とその手の界隈では結構な人気どころを起用したこともあって、百合界隈では百合か?という推測がなされていた。ところが、第2弾キービジュアル公開(

https://natalie.mu/comic/news/428217

)でサブキャラに幼馴染の男性キャラもいるということが判明し、百合界隈で炎上して警戒されてしまったのである。実際仲村櫂がくくるに片思いしている描写があり、交流の描写もそこそこあるので警戒は続けられていたのだが、そのとき警戒していた人たちにタイムスリップして伝えてあげたい。大丈夫だよと。最終話エピローグでいきなり男性とくっついている、というような最終回発情期現象があるわけでもなく、くくると風花が再会を祝って終わる、という形になっているからである。

あらすじ

 水族館で働く18歳の女子高生・海咲野くくるは、東京で居場所をなくし、逃避行した元アイドル・宮沢風花と出逢う。
くくると風花はそれぞれの思いを胸に、水族館での日々を過ごすようになる。
しかしその大切な場所に、閉館の危機が迫りくる。
少女たちの夢と現実、孤独と仲間、絆と葛藤ー。
きらめく新たなページが、この夏、開かれる。
(公式サイト https://aquatope-anime.com/intro/ より)

 副題は「The Two Girls Met In The Ruins Of Damaged Dream」である。これも結構重要。

物語構成・労働

 本作の特徴をあげていこう。祖父の運営する水族館で家同然に育った沖縄少女のくくると、夢破れて東京からも実家の岩手からも逃げて沖縄にやってきた風花が、水族館が見せた謎の幻想のさなかで出逢うというのが、なんとも百合ヲタの「好き」がつまった1話だったと思う。

 夏クール(第1部)と秋クール(第2部)とでちょっと違った話になっていくので、まずそこを説明する。ネタバレ注意。
 夏クールはくくると風花が出会い、風花が水族館で働き始めてから、くくるの大切な場所であるがまがま水族館が閉館になり、風花が実家に帰るまでの話である。1話で風花が、最終話でくくるが大切な場所を失う、という構成になっている。本作の副題にもあるように、第1部で二人の少女がそれぞれ「廃墟」を抱えることになり、そこから出発して成長し、自分なりの大切な場所を見つけ出すことになるわけだ。
 秋クールはくくるが水族館「ティンガーラ」に就職してからの話。なぜか志望でない営業課に配属され、新しい職場の仕事に馴染めず四苦八苦するくくるの様は見ていて辛い。しかもその労働環境が明らかにパワハラで、高校を出たばかりの新人に任せる仕事量を超えているので、どう考えても職場がちゃんとしていないとしか言いようがない。だがその辺に対する言及はなく、単にくくるの自己成長の物語に還元されていて、過剰労働を肯定する非常に危険な描写である。さすが給与明細で一悶着を起こしたPAワークスである。

 風花の勤め先の飼育課は比較的良好環境のように見えるのが救いか。特に第16話「傷だらけの君にエールを」では、シングルマザーの労働問題が扱われていて、その描写が見事だった。育児のために時間外労働(ペンギンの産卵を見守るため)ができなかった知夢が、育児に時間をかけねばならないことと十分に仕事に専念できず職場から軽く扱われるのではと危惧することのアンビバレンスが描かれている。実際は飼育課は融通が効き、またくくるが助っ人に入ったりするのだが、それを知った知夢が私の仕事を奪わないでと怒りをあげる。ここでは職場の誰も悪くないのに、労働をめぐる複雑な構造や意識が衝突を起こしてしまうというのが話のバランスとしてとても優れていたように思う。

生き物と幻想

 本作を第1部から第2部にかけて貫くのは「生き物」に対する畏敬の念である。生き物のCGによる描き分けの多様さは見事で、本物の水族館を見ているかのようである。生き物の特性を弁えて大切に飼育する様が常に丁寧に描写されており、生き物を大切にすることを教えてくれる非常に教育的なアニメでもある。ただし労働描写は前時代的なので子どもに見せたいかというと厳しい。
 「生き物」に関する部ごとの違いでいえば、第2部では生き物に対する科学的な側面や、環境問題に対する取り組みが生じるようになる。第1部では家族同然のものとして生き物に関わっていたくくるが、第2部で営業的な観点での生き物との取り組み方を考えるようになり、第1部ではほとんどダメダメだった風花が、がまがまでの成長から一人前の飼育員としてペンギンに取り組み、さらに生き物のことを勉強することを考えて留学することになる。方向性は違えど、二人は「生き物を守る」という同じ道を目指すのだ。

 幻想詩的な描写も本作の魅力である。がまがま水族館では登場人物が突然過去の思い出を思い起こさせるような幻覚に見舞われることがあり、それが水や生き物の魅力を引き出すようでとても魅惑的である。超現実的な描写に「なにこれ?」と感じる視聴者もいるようだが、「水」という生命や死を司るエレメントや、「家」同然の大切な場所である空間の背後には、夢見ることを望む者の懐かしい過去が詰まっているものだ。この辺は詩学ガストン・バシュラールの『水と夢』(1942)や『空間の詩学』(1957)を読んでいれば割とすんなり理解できるのでおすすめ。

 

 


 こうした幻惑的な描写は第2部ではほとんど見られなくなる。新しく配属されたストレンジャーのくくるにとって、出来たばかりのティンガーラ水族館は過去の思い出が詰まった場所ではないからだろう。だがティンガーラでの取り組みを経てがまがまを模したブースを作り上げたくくるは、水槽のなかに再び亡き家族の幻影と出会う。それも風花と一緒に(事実上の家族紹介である)。ティンガーラはとうとうくくると風花にとり大切な場所となったのだ。

 総じて、百合や生物描写の丁寧さに定評はあるとは思うのだが、労働描写に難あり、といったところか。まして労働者は全国人口の約60%(労働政策研究・研修機構より

https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/shuyo/0201.html

)なのだから、それだけ多くの労働のプロフェッショナルの見る目に耐えられないと厳しいのではないか。