筆者の所属する東京大学百合愛好会の催し的なもので、仲谷鳰の『やがて君になる』の第1話を読むというのがあったので、今回個人的に感じたことを記事にまとめてみることにした*1。
あらすじ:恋する気持ちのわからない小糸侑は、中学卒業の時に仲の良い男子に告白された返事をできずにいた。そんな折に出会った生徒会役員の七海燈子は、誰に告白されても相手のことを好きになれないという。燈子に共感を覚えた侑は自分の悩みを打ち明けるが……。電撃コミック大賞金賞作家が描く、ガールズラブストーリー。(https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_AM05000013010000_68/)
第1話を読むにあたって注意したいことが2点ある。第1に、予め視点を置いておくことである。評者による何かしらの視点なくして語られた評文に価値はまるでない。作品を一個よんでそれを徒然だらだらと語っただけの文章など誰が読むというのか。ある程度評者の視点をはっきりさせといて、それに従って書くことによって、読者は読みやすくなるだろうし、何より書いてる自分も書きやすくなる。そこで今回、次の3つの視点を予告しておくことにする。
①登場人物のコード
②漫画の巧さー七海燈子の人物像
③漫画の巧さー小糸侑の人物像と作品のテーマ
注意点の2番めは、純粋に『やがて君になる』の第1話だけの特徴を語るに徹することである。自分の関心としては、第1話がどのような構造をしているか、どのような登場人物が登場してどのように語られるか、どう巧妙に描かれるかを分析したい。それゆえ他の回の参照や対応関係の分析はできるだけやらないことにした。ただ、テーマの分析にあたっては、第1話だけでは作品全体のテーマを理解するには情報が不十分である。なので第1話だけで語れることには限界があることを自覚し、それを超えることは禁ずることにする。
①登場人物のコード
登場人物のコードとは、「その作品の属するジャンルにありがちな人物造形のこと」と規定しておこう。今や百合漫画の金字塔の名高い「やが君」であるが、ここではあえて「やが君」のゼロ度から読んでみたい。まず、表紙である。
この表紙を見て何を思うだろうか。二人の少女が見つめ合っている。だが、一方は無表情で、他方は笑みを浮かべていて……などと表情や手付きから色々考察できるだろう。
だが、ここではもっと初歩的なところからはじめてみたい。
- 左側の少女は黒髪ロングで、右の少女よりも背が高い。
- 右側の少女はくせ毛気味で、髪がピンク色で、アホ毛がある。
単純に人物造形について分析してみた。それが何になるというのだろうかという読者もいるだろう。だが、作品に対し読者がまずまなざすことになるであろう「表紙」というから、この二人の人物の造形に注目することは、本作を読み解くうえで重要である。それというのも、この上記の人物特徴は、まさしく「百合」というジャンルの伝統に即するものだからである。それは、「お姉さまと私」というコードである。
百合ジャンルの黎明と名高い今野緒雪作(イラスト:ひびき玲音)『マリア様がみてる』の主役である赤薔薇姉妹を思い出して欲しい。学園の生徒会長に相当する「ロザ・キネンシス」である小笠原祥子は、容姿端麗、成績優秀、家柄良好の自他に厳しく気高さに溢れた御仁である。他方でその擬似的な「妹」にあたる福沢祐巳は中流家庭に生まれ、成績は平凡、容姿はどちらかというと気品あるというよりは可愛らしいタイプの、抜けたところのあるごく平凡な少女である。性格や出自に関してまるで逆の二人であるが、それを象徴するのが「髪」であるといってよい。鳥居江利子の言を借りると「こしがあって、サラサラで、真っ直ぐ」(第1巻 Kindle版、2734/2906)で長い髪をした祥子に対して、祐巳は結いやすい短い髪である。髪型も祥子は結うところのないロングであり、それに対して祐巳はツインテールにしている。黒髪の祥子に対して、祐巳の髪は栗色である。
登場人物の髪がその人物の性格を象徴することは、キャラクター文化における基本的な文法といってよい。漫画における登場人物の髪の毛の色は主に黒と白の二項対立によって形成されている。それはもちろん、漫画という媒体が黒と白の2種類の色相で形成されているからだが、髪色の対比は有彩色の媒体にも受け継がれ、有彩色の髪のキャラクターと低彩度の髪のキャラクターでカップリングが形成されることが多くなる。比較文学者の四方田犬彦によると、この髪色は登場人物の性格をも象徴しているという(pp.229-232、『漫画原論』、1999)。
髪色だけでなく、髪型も重要である。祥子は気品溢れるロングであり、彼女が髪を常に大切にケアをし、毎朝きちんと整えて登校していることを想像させる。祐巳はツインテールだけでなく後れ毛やくせ毛であり、そこからは快活さやおっちょこちょいな一面が垣間見られる。二人の登場人物の髪の色やセットが、そのまま二人の登場人物の性格を象徴し、対比になるのだ。
登場人物の対比的な容貌の設定は、その人物らの受難をも運命づける。黒髪ロングの完璧なお姉さまが本当に「完璧」であれば、そもそもドジな祐巳と接点をもつことはないはずである。であればこの二人をどう接点をもたせるのか。「姉」に対して何かしらの精神的な苦難、それも傍から見ればまるで分からないような苦難を抱かせるのである。「レイニーブルー」の時点で祥子は何を祐巳に隠しているのか、普段の彼女と違いなぜ約束を破り続けるのかという「謎」があり、それで二人は仲違いしてしまった。それに対して周りの人たちに勇気づけられた祐巳は、祥子に寄り添うために真実を知ることを決心するのである。「妹」に対しても運命づけがなされていることがここで確認できよう。物語の主人公としての「妹」は、単に苦難を前に立ちすくんでいるだけでは物語を進展させることはできない。髪に象徴されるような明るさと快活さでもって真実のその先へ向かおうとするのである。
こうした姉妹関係のコード化は、マリみて以降百合作品に定着していったといってよい。もっとも、80年代の少女漫画は白髪(金髪)は知的で聡明、黒髪は情熱的というコードがあったようであるが(pp. 230-231、『漫画原論』、1999)、百合作品では逆に、黒髪は知性や荘厳さ、白髪(有彩色の髪)は快活さを意味するようである。『アサルトリリィ』の白井夢結と一柳梨璃の姉妹はこのコードを忠実に再現している。マリみてブームを受けて実施されたメディアミックス作品である『Strawberry Panic』のメインとなる花園静馬と蒼井渚砂は、静馬は黒髪ロングではなくホワイトのカーリーヘアではあるが、むしろ本人の過去に伴われるような神秘性を醸し出して、ポニーテールの渚砂といい対照をなしている。
話が非常に長くなってしまった。「お姉さまと私」のコードのまとめに入ろう。戦前のエス文化のリフレインであるとされるマリみての「スール」制度を実践する祥子と祐巳の姉妹は、黒髪ロングの高貴なお嬢様が栗毛の凡庸でドジなところのある庶民の祐巳を教導するという関係にある。しかしそれだけではない。祐巳は言われるがままに姉妹の契を交わすのでなく、祥子に対し対決を申し込んだり、祥子が抱える悩みを知り精神的に寄り添ったりと、積極的に行動を起こす。こうした姉から妹への「教導」、妹から姉への「解明・参与」は、「お姉さまと私」のコードのもとにある二人の登場人物の物語の軸となるものでもあり、後続の姉妹百合を展開する作品でも受け継がれているものなのだ。
『やがて君になる』に戻ろう。上述のような百合漫画における「お約束」を踏まえて表紙をまなざせば、典型的な「あれ」だというイメージが湧くと思われる。とはいえ、「妹」に相当する方の右の少女には表情がまるでなく、読者は「快活さ」とはまるでかけ離れたこのイメージに疑問を抱くことになるのだが、ここが本作の肝となることは、本作を読みすすめるとすぐに分かる。
②漫画の巧さー七海燈子の人物像
「この人物はどのような人物であるのか?」は表紙の時点でも、「百合作品のコード」を念頭に置くことである程度予測がついていた。だがもちろん、先入観だけでは登場人物のことは分からない。きちんと読み進めていくことが重要である。この二人はどういう人物なのかを読解していく。まず燈子からみていこう。
七海燈子が初登場するのは8ページ目。男子から告白されている場面であり、侑がそれを垣間見た体で描かれている。彼女がその告白を断った後、侑と出会い、自己紹介する、という展開である。
この8-13ページにおいて、実は燈子がどのような人物であるのかの叙述はほとんど存在していない。にもかかわらず、我々はこの七海燈子という人物がどのような人物であるのかについて多くを知ることができる。まず、男子から告白されている時点で、端正な顔立ちと長い黒髪も相まって、「この人物はモテる」ということが分かる。次に、告白を断る台詞である。
「ごめんね 君とは付き合わない」(p.9)。
「付き合えない」ではなくて「付き合わない」である。告白を断る原因が環境や相手の器量のためではなく、自分の意志にあることを明確に示す人物であることが、この言葉の使い方だけではっきり伝わってくる。さらに、「七海さんと俺じゃ全然釣り合わないし」と卑下する相手をたしなめ、付き合わない原因を彼の資格ではなく自分の自由意志にあることを示すことで、意志の強さが明確になるだけでなく、必要以上に相手が落ち込まないようにフォローすることができる人物であることが理解される。
「私はただ 誰に告白されても付き合うつもりないだけだから」(p.9-10)
初対面の侑に対する「今のは内緒にしといてね」というのも、自分に告白して振られたという噂が立たないための彼女なりの気遣いだろう(無論自分のためでもあろうが)。そして13ページ目において、彼女が生徒会の人間であることが自己紹介で明らかとなる。
この時点では、侑が燈子のことをどのような人物だと思っているのかが明確でなく、せいぜい学年を指示するリボンの色から彼女が2年生であると判断するだけである。モノクロの漫画ではリボンの色はわかりづらいので、こうした台詞が必要とされるのである。あとは14ページ目、後の回想で「かっこいい先輩」だと思っていたことが判明するくらいである。
以上のように、燈子の初登場のシーンでは彼女の人となりについては、「容姿端麗・成績優秀」というような紋切りの語り口が一切存在しない。そういうものがなくても、彼女がモテること、意志の強い人物であること、他人に気遣いのできる人物であること、生徒会の人間であること、2年生であることと、多くを知ることができる。人物の特徴を箇条書き調に並べ立てなくても、物語のシークエンスを追っていくだけでどのような人物かが分かる。これが本作の「漫画の巧さ」のひとつであると思われる。
「気遣い」に関しては、28-9ページ目にも描かれている。侑が燈子に悩みを打ち明けるか逡巡する場面。そこで燈子はお茶を差し出す。18ページ目で侑がお茶を淹れていたのとは対照的だ。一般にお茶にはリラックス作用があると言われるが、何かを打ち明けたい表情を察した燈子は、お茶を出すと同時に話を聞く姿勢を差し出す。先輩でありながら後輩にお茶を出すという仕草にも彼女の気遣いの良さが現れている。
ところが、この「かっこよくて面倒見のいい優しい先輩」のイメージが、終盤に瓦解する。侑が電話を終えた直後である(pp.41-46)。それまで励ますように手を握ってくれていた先輩の手が離れない。握られた手からは汗ばんだ感覚がする。44ページ目で燈子はいきなり侑の身体を自分の方に強引に引き寄せ、そして最後のページで決定的な言葉を告げる。
「だって私君のこと好きになりそう」
相手に対し心遣いの行き届いた先輩の姿はここにはいない。存在するのは、下級生の身体を支配し(ここには官能性すら見られる)、理解不能な言葉を告げる上級生の姿である。告白の言葉は透き通り輝くような吹き出しで彩られているにもかかわらず、恋する気持ちを理解できない侑にとってそれは濁った異物である。
ここで、表紙の時点で浮かび上がった「お姉さまと私」のコードに亀裂が走ることが分かるだろう。燈子はここで「優れた上級生」の仮面を捨て、下級生の世界に対する異常な侵犯者となるのだ。
③漫画の巧さー小糸の人物像と本作のテーマ
第1話だけ読むと、本作のテーマは「好きとはどういうことか」であろうことが読み取れる。それというのも、本話の34ページ目、さらには最初と最後のページで侑の口から「人を好きという気持ちが分からない」ことを何度も繰り返し語られるからである。人を好きになろうとしたけれどなれなかった少女が、そのうち「好き」という気持ちを理解していく話になるのだろうということが、本話から推測できる。
ところでこのテーマに関連して、ある性的指向を思い出すことになる。「アロマンティック」である。「アロマンティック」とは他者に対して恋愛感情を抱かない性的指向のことである。これは正直あまり周知されているとはいいがたい概念である*2。「同性愛」なら百合漫画を読んでいる層にはお馴染みであろうが、「アロマンティック」はそうではない。それゆえこうした心理を作品で扱おうとすると、登場人物の気持ちが読者には理解できないのではないかという作劇上の困難がつきまとうことになる。とはいえ読者は本作で侑の「分からない」気持ちを分かることができる。彼女の気持ちが理解できるように、人々に訴えかける手法で工夫が凝らされているからである。
まず、17ページ目。恋愛感情を知っている同中出身の友達二人に対する気持ちの距離を表現するのに、侑と二人の間で席が大きく離された1枚絵が提示される。「この二人と私は違う」ということが、シュルレアリスムめいた強烈な光景によってはっきりと印象付けられることになる。
次に32-33ページ目。32ページ3コマ目と33ページ1コマ目とで、空想上の恋愛を知って浮かれ飛び跳ねるであろう自分と、恋愛感情が分からず地に足がついたままの自分とでコントラストが生まれている。侑は別に恋愛がしたくないわけではない。ただ、その気持ちが分からず、悩みを生じさせていることがよく理解できる。
さらに34ページ目の台詞。地に足がついたまま連続して表示されるコマと同時に次の台詞が語られる。
「大丈夫わたしはきっと ほかの人より羽根の生えるのが遅いだけで きっと今に もうすぐ…」
これは、性別違和の人間が自身の身体感覚に対して抱く言明や、異性愛規範に自身の性的指向を合わせたいと思う人間の台詞と同じ言葉である。アロマンティックのことは知らなくても、いずれ自分が望む形になれたり、あるいは規範に沿う形になれたりするのではないかと考えを巡らせた経験のある人間にとっては、馴染みのある言葉ではないだろうか。
我々は侑のともすれば理解不能性に陥りかねない心情を、明快な様式や馴染み深い語彙によって理解することができた。広く知られるとは言い難い心情を漫画的技術により理解可能に近づけることに成功していることに、本作の「漫画の巧さ」のいち側面をみることができる。
まとめ
以上3つの視点から分析してみた第1話における登場人物像は、本作を読む前と読んだ後とで以下のように変遷を遂げることになる。
七海燈子
百合漫画における黒髪ロングの優れたお姉さまという第一印象。事実彼女の優れた上級生としての側面が、モテ描写、気遣いの描写、生徒会役員という肩書の描写などから読み取れ、下級生の悩みを聞き行動を見守るという形で「教導」するところが描写された。それが終盤、下級生を力によって縛り付けるある種の野蛮性を見せ、「だって私君のこと好きになりそう」という「お姉さま」には相応しくない台詞をいきなり告げる。
小糸侑
百合漫画におけるくせ毛気味の平凡な妹という第一印象。表情をしばしよく変えるところは「百面相」の福沢祐巳を想起させそうだが、第1話では凡庸さではなくむしろ「異端さ」「人に言えない悩み」に対する自覚が強調されており、従来の「妹」のコードから大きく外れていることに気付かされる。上級生から告白されても驚きはこそすれ、赤面などすることなく「この人が何を言っているのか わからない」と長方形の中で告げるに至る。
かようにして、『やがて君になる』は百合漫画の姉妹の形式を一部拝借しながらも、そこから大きく外れることでその独自性を見せつけていることが、第1話から読み取れる。そこに我々は驚きを覚えるのだ。
*1:なお会は現時点で途中であり、会では表紙と第1話の2Pしか読んでいない。本稿で語るのはほとんどが筆者当人の先走りである。
*2:
もちろんある種の性的指向を物語のプロットに組み込むことは危険な行為でもある。性的指向を物語上「乗り越えるべき障害」であると規定することになってしまいかねないからである。そうなっていないかについては第1話だけでは判断できない。この件については本作を読みすすめるしか分析する術はないが、それは「第1話だけを読み解く」という本論の意図から離れることになるので、ひとまずここで差し置くことにする。
本件の問題系については、次の論考が参考になる。
松浦優「アセクシュアル/アロマンティックな多重見当識=複数的指向 : 仲谷鳰『やがて君になる』における「する」と「見る」の破れ目から (特集 〈恋愛〉の現在 : 変わりゆく親密さのかたち)」(pp.70-82、『現代思想』2021年9月号)